病院勤務で患者様理解に奔走するあまり…
精神科病院に勤務して、早15年。
思えばあっという間でした。
私は沖縄以外の県で精神科病院勤務を経験し現在で転職3回目。今の病院が一番長い勤務となります。
精神科の患者様の言っている事がなんなんだろう。と思う頃から、全体的な理解に至るまで。
私は必死で勉強してきました。時には怠ける事もありますけどね( ´∀` )
偉そうに言うと、形式上では患者様のアセスメントは1時間あればできるようになっていると思います。(形式上はです。…深くはできません。)
そして、いまでは、外来の子どもの発達症に対して支援を行う責任ある立場に。
さらなる勉強のおかげで、臨床現場で最適化された私たちの思考は限りなく研ぎ澄まされてきました。
しかし、勉強した先に身についた患者を評価するというこの現場感覚。
今、児童の子ども達と接する時、私自身致命的な何かを置き去りにしている気がします。
【マイナスをスタートラインに戻す】というリハビリという名の妄想

ここで、私達作業療法士(以下、OT)
が精神科の患者様を支援する時のリハビリ職の作法について一部紹介します。
私達医療者は、精神病院に入院してきた患者様をどうみるでしょうか。
ざっくり以下に説明します。
①急性期病棟に先日入院してきたAさん。
②Aさんの情報を私達OTは、入院前の生活のご様子をカルテから瞬時に閲覧します。
(精神保健福祉士さんの献身的な入院前の聞き取りですでに情報がとれているのです。)
③Aさんの幼少期、小学校時代、中学、高校、大学時代、就職の時、生活上の精神的な不調の出どころ
④今、Aさんは何の症状に困っていて、その具体的な苦しみ方はどういうものなのか?
⑤すでに開始している治療方法はどんなものか
⑥入院前の生活でできなくなってしまった事と、入院後Aさんが大切にしている事は
主にこのような事を瞬時に整理して、Aさんとの対面初日を私達は望みます。
この手順のポイントは、
【病気をきっかけに失ってしまった生活をどうするか】
と
【ご本人は特に何をする事が大切だと言っているか】
この内容を重点的に考えます。
そこから邪魔をしている病気の症状についてどう改善するかを考えるのが、入院加療です。
つまり、病気になったマイナスを入院中にゼロに戻す為に原因をどう治療するか。
リハビリという仕事はかいつまんでいくとだいたいの職種がこんな感じです。
支援に入る前の分析を私達は患者を査定していく上で【評価】という特殊言語を用います。
実は、この、
マイナスからゼロに戻す。
患者を査定する【評価】
という行為事態が、患者様の邪魔(症状)をどう改善するかという視点に集中させ、
治療にあたる期間、患者の行動を全て病気による反応に見立てる癖があるのです。
支援者が陥る「評価」という名のレッテル。その危険さと未来をつぶす行為

医療の現場だとイメージしやすいと思いますが、
ここから子どもの日常場面を想像してみましょう。
例えば、
保育園で他の子供から頻繁にちょっかいを出される(追いかけられる)子供がいるとします。
これまで「やめて」と言って逃げていたその子が、ある日自ら相手に「なんで追いかけるの?」と
理由を尋ね、「相手が遊びたいと言ったから、付き合ってあげた」と報告してきたとします。
追いかけられるは相変わらず、続いています。
この時、この現象に対して医療者、並びに支援者ならどんな危機感がわきますか?
追いかけられるという行動に対して、
「自分の嫌だという意思をはっきり言えていないんじゃないか」
「相手の要求に無理して合わせてないか」
「本来の明るい自分をころして動いていないか」
もしこのように感じたのなら、子どもが追いかけられている場面に対して完璧に適応できていない。
と感じないでしょうか?
そう感じた方は、一人の支援者として問題を解決するという責任感のある方だと思います。
しかし同時に、子どもの反応を解決に至る誤反応として、支援者側が一方的に流している可能性がかなり高いです。
ちなみに、この子どもは私の息子です。
別の記事で息子との経験談も解説しております。
【「やめて」と言えないのはなぜ?〜子供の葛藤を「できていない事」ではなく「成長のサイン」として受け止める〜】
を参照ください。
子どもの行動は解決できていないのか?それが問題か?

子供のこの行動変化を、精神医学や集団力動の観点から分析してみましょう。
以前の「逃げる」という状態は、相手の予測不能な行動に対する『回避』というこの子の防衛です。
しかし、「自ら理由を尋ねる(情報収集)」という行動を経て、
「付き合ってあげる(許可の付与)」という「逃げるから許容する」という認知の幅を広げた事で
追いかけられるという現象は変わっていないものの、考え方は全く異なるものに変化している。
つまり、
異変(追いかける)→逃げる(回避)
から
異変(追いかける)→「なんで追いかけるの?」(周辺分析)→「遊んであげる」(許容)
という図式になります。
私達支援者は、この時、こどもの心の変化を見るというよりも、原因究明に走りやすいです。
この内容の時、「本当は嫌なのに我慢している=意思の抑圧」と瞬時に評価が入ると
思います。
ですが、そう結論づけるのは、支援者側一方的なバイアスに過ぎません。
それは、支援者がこの子の問題を解決するというマインドが強いからです。
子どもの社会適応において、「相手の事情を考えて、あえて自分のやりたい事を相手のペースに割く事」ことは、健康的な妥協かもしれません。
この考えを、問題解決というテーマを掲げていると簡単に流してしまいます。
可能性をつぶさない為の支援者の考えを振り返る

このように、我々支援者は、治療を急ぐあまり、結果に繋がる要素を都合よくつなげるまたは、打ち消す癖があります。
そうなると、子どもが選択した過程(ここでは、解釈を変えている事)の見落としがでます。
真に恐れる事は、子供が葛藤している事事態を問題にしてしまい、成長の過程としてとらえられない姿勢です。
つまり、支援者の「過敏な課題設定」によって、子供が自力で判断した行動を
「それは無理しているんだよ」と外側から先回りして崩してしまうことです。
マイナスをゼロにするための治療現場の当たり前が
子どもの成長の過程を見守る事に対して、子どもの可能性をつぶす事に繋がる危険性がある。
私達支援者は高度な技術を学習しているがゆえに問題解決に走りすぎるのではなく、
子どもの行動に価値を見出せる支援者になる姿勢が重要となってくるのです。



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