子どもの「問題行動」は環境への適応?支援者が陥る“治す”考え方の見直しと適応アセスメントの視点

児童発達関連

支援者の治るという成果視点の問題点

私たちが何気なくみている子どもの行動

ついついやってしまうお友達へのいじわる、親や先生のお話を聞かないなど。

私たち大人が問題としてみてしまう子どもの行動。

大人は子どものする行動について、あたかも自分達の考えが正しいという基準で関わります。

その考えは、社会能力を育む意味でも必要な事ではあります。

ですが、子どもの起こす行動のすべてが、大人の基準の正解誘導が必要でしょうか?

特にリハビリなどの支援者は、治療構造上「障害を負う=原因を探す=リハビリで治す」

という考えに向かいます。しかしながらこの「課題=治す」のような二元論的な考えに陥ると

子どもの場合、自主的に選択した行動を見落としてしまいます。

しかもそれが、大人の基準にそぐわない場合、全て不正解な行動となります。

本日は、大人や支援者が、子どもの行動について「正す」という視点から「この子なりに頑張ってい

る」という認める解釈の方法を解説していきます。

子どもの動きは環境に精一杯合わせた集大成!

子どもの行動についてまず、私たち大人は理解しなければなりません。

結論からいうと、子どもが行動するという事は、

自分自身の体と心の動かし方を自分がいる環境に合わせた結果

という事です。

難しい表現をしましたが、子どもの行動は

① 自分の体と心をどうコントロールしているかもしくは、できない部分はどう補っているか

② そのコントロールを環境に合わせてどう動いているか


です。

なので、大人の見え方による、いい行動、良くない行動の良しあしでなく、

子どもがこの環境で、自分の能力で何をしたか。という視点です。

じつは、ここでは大人の基準は全く関係がない事なのです。

子供は日々、周囲の環境(アフォーダンス)と自分の体をどう使って、社会生活を起用しようとしているかを日々体験しているのです。

大人は、子どもの行動を一方的な基準で決めつけず、「この環境で精一杯適応した答え」なんだな。

と認識する事が重要という事になります。

つまり、大人や支援者が、子どもの行動を能力・気持ち・環境の側面を観ながら理解していく視点

が大事と言う事です。

考え方① 機能的にどうなったか:その行動は何の負担を減らしたのか

私たちは子どもの行動変化を3つの考え方で見る必要があります。

機能的にどうなったかという現象を観るのは支援者はとても得意な部分だと思います。

「なぜそんな行動をとるのか」という問いを、

「その新しい行動は、本人にとってどんな負担を軽くするためにやったんだろう。」

という疑問に変えてみるといいかもしれません。

私の息子の話をしましょう。

私の息子は、おともだちに追いかけられ、「やめて」と言っても、続けられており、

それがいじわるされていると言うようになりました。

親の私からすると考えすぎだろうとあしらってしまいがちですが、子どもにとっては、課題です。

しかし、何日か過ぎると、息子自身自分で行動しており、

「追いかける理由を聞いたら遊びたいからなんだって。だから遊んであげてる」

との返答でした。

この内容をさきほどの「本人にとってどんな負担の軽減なんだろう?」という問いに当てはめると

これまでの現象:
追いかけられる→「やめて」と主張する → 相手は衝動性を止められない → いじわるされる(強い拒絶)

新しい現象:
追いかけられる→相手は遊びたいからという→「付き合ってあげる」と自ら許可を出す
自分の許容範囲の拡大

この視点を持てば、一見、私の息子が「相手に合わせている」に見える行動が、

実は「いじわるされている」という外部からの脅威を不安という認識にするのではなく、

「遊んであげている」という自分の中で予測可能な意味に変換できているという見方ができます。

ちなみに私の息子の体験記に関しては別の記事で解説しております。
【「やめて」と言えないのはなぜ?〜子供の葛藤を「できていない事」ではなく「成長のサイン」として受け止める〜】
を参照ください。

考え方②:子どもの行動は得たものは何か?捨てたものは何か?

この視点は少し難しいと思いますが、子どもがその行動を選択した事で獲得したものと、捨てたもの

を観察します。

これはつまり、子どもが自分の居場所を確保する為に払った代償がどの程度の物で、得た報酬が子ども

が生きる上でどのようなメリットがあるかです。

先ほどの私の息子の例題で見ますと。

これまでの現象:
追いかけられる→「やめて」と主張する → 相手は衝動性を止められない → いじわるされる(強い拒絶)

新しい現象:
追いかけられる→相手は遊びたいからという→「遊んであげている」と自ら許可を出す
自分の許容範囲の拡大

ここで獲得したものは
受身的な自分の脅威となる刺激(追いかけられる)が相手の行動を予測できる範囲(遊んであげている)で許容するという心構えです。

ここで捨てたもの(妥協ライン)は
「遊んであげている」という表現の元に自分の意思優先順位を落とし相手に合わせるという許容です

ここで観察すべきポイントは、「捨てたもの(妥協ライン)は、子どもが自分の自信までもそぎ落とし苦しくなるまで環境に合わせていないかです。

私たち大人も社会で生きる上で、100%自分の主張を通し続ける事は不可能ですよね。

大人はここでいう捨てたものに過敏に反応し、

「本当は他の遊びをやりたいんじゃないの?」などと大人の基準を先回りします。

そうではなく、子どもが自分でだした判断を尊重する事が大事です。

考え方③その行動は無理していないか:選択か強制か

3つの中で、これが臨床上最も重要な視点です。

それは、行動を変えた子どもが無理をしていないかです。

子どもがだした判断が、一番素晴らしいのは大人に上がる為の新しい考え方かどうかです。

しかしながらそれが子どもにとってこの一択の我慢相撲となれば本末転倒です。

私の息子の例でいくと、
「遊んであげている」→翌日以降も笑顔で遊べている→自分の考えを広げている

しかし
「遊んであげている」→自宅では泣いている→保育園に行くのはつらい

これだと、新たな選択肢の獲得が、結局その選択肢で我慢するという事に変わりがないのです。

子どもを観る視点は解決ではなく、生き生きと進歩しているか

行動そのものだけを見ていては、支援者の視点ではどうしても解決したかどうかの視点になります。

ですが、子どもを観る上でとても大事なのは、課題を解決したかではなく、課題に対して

どう前向きに変化しているか。

子ども自身が変わるきっかけこそが、私たちが支援の場で見続けるべきポイントであり、

そのまなざしこそが子どもにとっての安全基地となります。

参考文献

ゲイリー・キールホフナー (2012). 『人間作業モデル―理論と応用 改訂第4版』(山田孝 監訳) 協同医書出版社.

エドワード・S・リード (2000). 『アフォーダンスの心理学―生態心理学への道』(細田直哉 訳 / 佐々木正人 監修) 新曜社.

A・ジーン・エアーズ (1982). 『子どもの発達と感覚統合』(佐藤剛 監訳) 協同医書出版社.

熊谷晋一郎 (2009). 『リハビリの夜』 医学書院.

本田秀夫 (2013). 『自閉症スペクトラム: 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』 SB新書.

綾屋紗月・熊谷晋一郎 (2008). 『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』 医学書院.

ジョン・O・クーパー 他 (2013). 『応用行動分析学』(中野良顯 訳) 明石書店.

コメント