地域ケア会議のリアル:なぜ行政とケアマネは「信念摩擦」を起こすのか?
行政の逃げられない使命:オープンデータ化される介護財政の重圧

行政職員は、爆発的に膨れ上がる介護保険財政の圧迫を防ぐ使命を背負っています。
上層部から尻を叩かれ、「フォーマルサービスに頼り切らず、絶えずプランを見直してサービスを適正化(実質的な軽減)しなさい。」という視点で会議に挑んでいます。
ここで便宜上、上層部という責任の棚上げの言葉を使用していますが、
介護保険財政というのは、市町村レベル、県レベル、厚生労働省レベルで容易にオープンデータで開示
されます。
各組織のホームページを検索する事で簡単に市町村ごとに、介護負担(住民が払うお金)
や介護給付率(介護保険を受けている人のサービスの内訳など)が
全国ランキングのようなデータで開示されます。
つまり、行政職員が水面化で整えている人間関係や、その組織ガバナンスの構築の過程など
関係なしに国レベルで数字が結果としてオープンデータとして表示されるのです。
行政職員はその結果に伴い、改善を図る為、
ケアマネに対して指導的な立場になるのは必然の正義なのです。
ケアマネの重圧:ゴミ屋敷対応に見る、可視化されない属人的業務の限界

一方のケアマネはどうでしょうか?
今の話を聞くと、「ケアマネのサービスの整理が悪いんじゃないの?」と思いますか?
例に出しましょう。
ある地域に近隣にまで影響する高齢者がお住まいのゴミ屋敷があったとしましょう。
ゴミ屋敷は、ゴミそのものが悪臭を放ち、近隣の敷地にまで届く勢いです。
見かねた周囲の住民がその家主に注意をいれると、その家主は激高し、ゴミ屋敷は改善しません。
この時、対応を強いられるのがケアマネです。
ケアマネは、地域の困っている高齢者のプランを立案する仕事ですが、地域の要請にもこたえる
職務倫理があります。
そこでケアマネは、家屋についての情報を集めます。
ですが、近隣の住民はゴミを何とかしてほしいという課題をケアマネに求めます。
そこで、時間がないものの、この家主にコンタクトし、門前払いもくらいながら、情報を収集していきます。
すると、近年家主が最愛のパートナーを死別で失った事や、過去に患った精神疾患の存在などを
突き止めます。
解決を求められているケアマネはこのような情報を仕入れながら、この高齢者に対して何がいいかを
直接訪問やゴミ収集業者の紹介などのサービスを適応しながら、新たな対応を模索していく連続です。
それ以外にも多岐に渡るケースが存在します。
その状況で、
「この家主をそのまま病院に連れていく方がいいのか?」
「でもそれって人権に反する事じゃないの?」
などの葛藤が、可視化されずに
ケアマネ個人にストレスとして、経験として培っていくのです。
このように、在宅介護の限界に直面し、即効性のある解決策を求める住民や家族からの
猛烈なプレッシャーに晒されている。
地域の社会資源を総合コーディネートするという重い職務倫理に追われるあまり、
業務は属人化し、「自分がこのケースをなんとかしなければ」という孤独な判断に陥りやすい。
又、一度導入されたサービスは家族も安心のよりどころにする為、サービス終了に過度な不安を示します。
実際に最近取り上げられた沖縄の新聞には、このような内容も存在します。
私独自で読みやすいように解説を作成しております。ご参照ください。
この内容は沖縄県の新聞にも掲載されているリアルな状況です。購読が必要ですが、リンクを貼っておきます。
訪問先「不安」35% 利用者らから暴言も ケアマネ調査 沖縄
リソースの奪い合いが引き起こす「ゼロサムゲーム」の構造

「未来の財源を守りたい行政」と
「今、目の前の家族や対象者を救いたいケアマネ」。
どちらもケースのあるべき支援を求めているにもかかわらず、リソースの奪い合いという
ゼロサムゲーム(どちらか一方の得がどちらかの損になる。)に陥っている業務倫理の衝突の縮図が
ケア会議というわけです。
リハビリ職が担うべき「第三者」としての役割とは?

このこうちゃく状態を打破するために必要なのは、単なる「話し合い」や精神論的な「信念統一」ではありません。
ここで力を発揮すべきが、リハビリ職や地域で働く、民生委員、介護士、関連職種といった、
地域とダイレクトにコネクトできる職種です。
特にリハビリ職は、医学的知見に基づき、対象者の「生活機能(ICF)」を客観的に評価し、
「予後予測」を立てることができます。これが私たちがもっている強みです。
予後予測を立てられるという事は、サービスの前に回復の余地があるという事のメッセージです。
「このサービスを削れば、半年後に転倒リスクが跳ね上がり、結果的に医療・介護コストが増大する」
「逆に、この福祉用具と地域ボランティア(インフォーマルサービス)を組み合わせれば、
現在の高額なフォーマルサービスは代替可能である」
このように、感情や理念の対立を「データと客観的指標」に翻訳し、
両者が納得できる現実的な「やり方や答え」を構築すること。
これこそが、リハ職が会議という力場において果たすべき最大の貢献です。
絶対NG!地域ケア会議でリハ職が陥る「アカデミックマウント」

「〇〇療法士が怒鳴る」現場のケアマネが抱くリハ職への嫌悪感
私自身、ケア会議に参加し、数年たちましたが、
一緒に参加してくださるケアマネさんから、
「〇〇町のケア会議では〇〇療法士が怒鳴るんだよね。」や
「〇〇市は〇〇療法士の〇〇さんがケアマネのできていない所がなぜよくなかったって話をするんだよね」
こういう話を聞くことがあります。
私は恥ずかしいです。
私の感想ですが、ケア会議に参加する時はいつも緊張します。
何故なら、「第一線で働いている人達に建て前しか知らない私が何を言えばいいのか。」
この思いにかられるからです。
なので、ケアマネが作成したプランに対して、リハビリ職は、
「歩行機能はどこまで評価した?」
「服薬についてのアドヒアランスはあるの?」
そのようなアカデミックな表現で詰めるのではなく、
「どこまで歩けていますか?でしたらば、この杖が使えると思うので試してください」
や
「薬を飲む意識があるのなら、お薬セットは介護士にお願いして、自分で飲めるか促しましょう」
などの明日から使える答えを教えていく事が連携と思います。
病院や訓練室の「守られた常識」を地域に押し付けてはいけない

リハビリ職が地域ケア会議を知るべき最大の理由は、
自分の職場の狭さをしるきっかけになる事です。
病院の訓練室やデイサービスという「限られた守られた場所」で、
患者のアプローチを最大限、提供していると日々自覚に変える努力をしているかもしれない。
それは、自分の価値を証明する観点では、とても大切で必要な事ですが、
地域で暮らす人を支えているスタッフが必要なのは、リハビリの美学でもなければ、治療のお作法でも
ありません。
地域での解決すべき答えなのです。
まとめ:リハ職の当たり前ではなく、地域の力になる。
逆説を問う形になりますが、リハ職が地域のハブとして役割を発揮するのは、
自分の専門性をひけらかし、お高くとまることではなく、
地域で支えるスタッフの悩みの鮮度や答えの形を理解し、
リハ職にしかできない答えの出し方を、地域のスタッフが明日からできる方法として
共有していく事が大事。
という事です。



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