「どうせここも追い出される」。たらい回しの末の問題行動。それはワガママか、SOS(権利擁護)か?~支援者に問う。関わり方とは?~

児童発達関連

1. ある子どもたちとの出会い

私のかつての経験談。

実の両親を知らないで、里親に預けられた子どもたち。

施設をたらいまわしにされ、行き場のない子どもたち。

大人に対して、愛情を求めるが、それが反対の言葉で伝えてしまう。

伝えられなかった時、壁を殴るなどの物質破損をしてしまう。

人の事は絶対に殴らないと決めているのに。

やった後、そこで反省をし始めるが時はすでに遅く、この居場所も変える必要がある。

いつのまにか「ADHD」や「反抗挑戦性障害」と診断され、入院加療。

そうやってたらい回しにされた子どもたち。

落ち着いた所で話すと、本当はもっと大人と話したい。

自分の気持ちを聞いてほしい。寂しい。

そんな気持ちを話せる素直さ。

この子どもたちの未来は?だれがが考える?だれが決める?

幾度となく、私自身、支援者として、親として、大人としての価値観に

迷いを感じさせてくれる感覚を経験させてくれた体験です。

私達支援者は、このような子どもに対して何を思い、何が出来るのでしょうか?

本記事では、たらい回しにされる児童の心理的背景と、現場における「権利擁護とわがままの境界線」の引き方について、実践的な視点から問題提起をしていきます。

2.障害というレッテル:言葉と裏腹なSOS


居場所を失い続けるとはどういう体験でしょうか?

私は経験した事がないので想像を絶する体験だと感じています。

ましてやよりどころとなる大人がいない

そのような経験をしてきた子たちの自己主張は言葉が悪い、態度が悪いだけで悪なのでしょうか?

適切な愛着形成の機会を奪われてきた子らは、

その主張を「他者への攻撃」や「ルールの破壊」、「物質の破壊」という形でしか表現できていません。悲しくも多くがそうです。

何故なら、私達が目にしているこの子たちの「私達とこの子たちが共有している環境」ですら

この子にとっては耐え難い環境かもしれないのです。

大人にとっては破壊的な行為で表す主張こそが

この子たちからすると、今の状況を解決するかもしれないという希望にすら感じているかもしれません。

結果として、それがトラブルとなり、私達大人は「扱い困難」というレッテルを貼り、

次の施設へとバトンを渡す。

これは本当に、子ども側の「障害」だけが原因なのだろうか。

確かに、業務の効率を著しく乱す行為もあり(逃げようとする。自分を傷つけようとする)

それに対して日夜従事しているスタッフからすると、とても疲労の温床になる事も理解しています。

ですが、これは現実的に現象を処理しているだけであり、解決に至っているのだろうか。

そして、それに直面するスタッフは消耗線を課せられたゲームのように受け入れるのか。

3.試し行動(マニピュレーション)への過敏反応を捨てる

支援の現場において、子どもが大人をコントロールしようとするマニピュレーション(試し行動)は、

スタッフ側からすると、業務に差し支える負担や、強い憤りを感じるストレッサーと捉えられる事があります。

しかし、彼らの「反対の言葉」や「試し行動」は、

「この人はどこまで聞いてくれるんだろう。」「この人なら話してもいいのかな?」という

信頼をおける人を探す探索行動です。

ここで支援者が陥りやすい罠は、行動の「表面」だけを捉えてルールで抑え込もうとすることです。

大人が子どもに対して感じる「また嘘をついた」「またわざと困らせた」と

感情的・過敏に反応することは、子どもが試している通りの「どうせこの人達も私を受け入れてくれない」に陥っているということです。

つまり、私達支援者に求められるのは、いくら試されても、舐められても、揺さぶられてもブレない、

「事実の受容」だと思います。

4.試し行動を「権利擁護」と、とらえて聞き取っていく

ここで子どもの「試し行動」。

それは、「権利擁護」という概念です。

権利擁護とは、その人の生活を保障する為の最低限の主張や権利の事を指します。

わかりやすく言うと、その人が生きる為に「こうしてほしい」「こうしてほしくない」の意見そのものという事です。

例えば、むしゃくしゃしていて、上手く伝えられない子どもがいたとします。

この子が「他の子どもを殴りたい」と話してくれた場合、どういう対応がいいと思いますか?

「子ども」
「殴りたい。〇〇(例えば同年代の子ども)に頭悪いって言われた。それで昔の事思い出した。」

「私」
「殴りたい気持ちは理解できたけど、本当はどうしてほしくなかったの?」

「私」
「じゃあ、また次にそう言われたらどうしたい?殴る以外に考えてみる?」

「私」
「自分でどこまで言える?私ができるのは何かな?」

これが、権利擁護の一端です。

つまり、この子にとっての「頭悪い」という言葉は、日常行為を侵害される言葉に該当する

という事になります。

それに対して、支援者は「どうしてほしい」か「どうしてほしくないか」が権利擁護(アドボカシー)

であり、支援者がどこまで手伝えるか(アドボケイト)を考える事がブレない支援という事です。

5.揺さぶられてもブレない。権利擁護かワガママかの境界線を引く

ここまでの話では一方的に子どもの要求をすべて容認するように聞こえます。

しかし、権利擁護とは主張者の意見を鵜呑みにすることでは決してありません。

それは単なる放任であり、それを許してしまうと、将来的な非行リスクをむしろ高める事に繋がります。

真の権利擁護とは、子ども自身が「自分の権利の範囲」と「他者の権利の境界」を理解できるよう、

スタッフが共に線を引く作業です。


つまり、例題として先の対話の続きを見ていくと

「子ども」
「〇〇が私の事頭悪いってしょっちゅういってくる。殴らないから〇〇さん(私)があの子に言って」

これを容認し続けると、権利擁護という名の元にワガママになってきます。

「私」
「そう思うのは、やっぱり言われたらつらいんだよね。」

「私が言ってもいいけど、どのタイミングで言ってほしいの?」

「私の業務の時間であれば一回だけなら言えるかもしれないけど、それ以外の時はあなたはどうする?」

「私がいなかった時はきつくなるよ。それよりは、他に出来る事も考える?どうしたい?」

「あの子に言ってもいいけどいきなり傷つけるような事は私はしないよ。仕事上不用意に他人を傷つける事はやらないからね。」

「どんな方法がいいかな?」


あくまで例題です。

6.舐められても(試し行動)ブレない


権利擁護とは、

「あなたの怒りや悲しみ(感情)は100%受け止めるが、他者を傷つける行動(暴力や暴言)は絶対に

認めない」という明確なラインを提示する。

「本当はどう伝えたかったのか」を共に言語化するという事だと思います。

ここで、その行動の裏側をどう子ども達に話してもらうか。

その会話事態がじつは本質的な支援そのものなのです。

7.支援者が着飾らなくてもいい。フェアで価値観を話あう事が権利擁護

しばしば、治療現場では、今までの内容をSST(社会機能訓練)を実施するというミーティング方針や

個別指針にまとめてしまいます。


果たして、誰がそれをやるのでしょうか?

私の経験上、自分の主張が受け入れられない子どもにとってSST(社会ではこうしましょう)の

レクチャー系の勉強スキルは全く機能しません。
あくまで私の経験談です。

何故なら、子ども達が本当に困っているのは社会で生き抜くスキルの前に、

自分の意見を受け入れてほしい渇望だと感じます。あまりに杓子定規な大人よがりの考え方だと思います。


SSTという言葉が支援の場で一人歩きする理由がエビデンスが高く認知度が高い為、皆がくちをそろえて多様してしまうのです。

その為、認知度と支援者の技術のギャップが生じる為、上手くいく試しがないのです。

ですが、

権利擁護とは、支援者自身もそのような建て前に固着するのではなく、

あなたの訴えを聞きます。

私の業務でできる範囲も知ってほしいです。

他の人の価値感はこうです。

さあ、一緒にどう解決しましょうか?

という人間的なシンプルなスタンスで対話を行う。



年齢や境遇関係なく、異なる価値観を混ぜあう本音の関係性が本質ではないのでしょうか?

そこに行くまでの会話が権利擁護。

そのような気がします。




最後に、ともに子ども達の支援によりそって悩んでいる私の後輩の言葉を借りると、

居場所とは、

寄り添う人がいなくなると失われる。

つまり、寄り添う人が居場所。そういう事かもしれません。




別の記事でも他の私の体験談を解説しております。深く考えれられる内容となっているので
【体験談:「死にたい気持ちはあるんだよね。」「死ぬ」という言葉を補償に使う子どもたち。-壮絶な体験から生きようとする葛藤を前に支援者はどう向き合うか‐】をご参照ください。

参考文献

野坂 祐子 (2019). 『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす・支援の視点を変える』 日本評論社.

杉山 登志郎 (2007). 『子ども虐待という第四の発達障害』 学習研究社.

川松 亮, 堀 正嗣(編著) (2021). 『子どもアドボケイト養成講座:子どもの声を社会につなぐ』 明石書店.

白石 弘巳(監修), 萱間 真美 他(編集) (2019). 『包括的暴力防止プログラム(CVPPP)トレーナーマニュアル 第2版』 医学書院.

アンソニー・ベイトマン, ピーター・フォナギー(著), 池田 暁史(監訳) (2022). 『メンタライゼーションに基づく治療〈MBT〉実践ガイド』 岩崎学術出版社.

こど看【児童精神科の看護】「舐められてもブレない‐子どもとのかかわりで、私が大事にしている事」

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