体験談:「死にたい気持ちはあるんだよね。」「死ぬ」という言葉を補償に使う子どもたち。-壮絶な体験から生きようとする葛藤を前に支援者はどう向き合うか‐

児童発達関連

ある作業療法場面で…

【子ども】
「ねえ、そろそろ退院なんだけど、ここにいる(入院中に)時に将来の事を考えたら私も人の役に立つ仕事に就きたいと思ったよ。」

かつて、私が作業療法のプログラムでリラクゼーションを兼ねて音楽を流していたひと時、児童の患者さんからこのような言葉をかけられました。

小学校中学年の女児。複雑な家庭環境や学校での不適応を重ねて加療に至った児童。

【私】
「それは、とてもいい事だと思うよ。人の役に立つ人は、苦しい時に助けられた経験がある人が多いよ。私もそれで作業療法士を目指したんだよ。」

私は活動の最中だった事もあり、何気なくその子とこのような会話をしました。

するとその子は

【子ども】
「うん。だからまあ、退院しても、まあ何とかやってみるよ。

でも、まあ、今も死にたい気持ちはあるけどね。」

私は

「でも、将来の事を考えられたなら、入院した意味も出てくるんじゃないかな。これから頑張っていけるなら良かったよ。」

と話しました。

私は活動中だった事もあり、その時は精神科の臨床の場でもあるし、心の中で業務中の出来事だと軽く流していたと思います。

しかし、今思い返すとそこには確かに違和感がありました。

評価を前提に置くあまり、本当の声の置き去り

今振り返ると、不思議に感じてしまいます。あの時あの子が表現した言葉。

「うん。だからまあ、退院しても、まあ何とかやってみるよ。

でも、まあ、今も死にたい気持ちはあるけどね。」


この言い回しは、さりげない一幕であったかもしれませんが私の心にリフレインします。

臨床の現場では、常に患者の状態の評価とそれを支援に変える姿勢が試されます。

私の中で、「ああ、この子は加療を重ねて将来展望への想起が出てくるタイミングになったのか」

という建て前の評価でまとめていたかも知れません。

または、「今この会話を掘り下げて気分変調を起こされたら周りの職員の献身が台無しになるんじゃないか。」

現場の経験を重ねるあまりこんなそんたくが自動的に浮かんでいたかもしれません。

しかし、

将来の事を語っている直後になぜ、その直後に死の連想が入ったのか。

私はこの子どもの大事な側面を見落としていたのかもしれません

未来を語る事の大変さとそれに負けない為の「死ぬワード」の活用

ここで私たちに大人に置き換えてみましょう。

就職先に

業務規程がなかったら、この職場の給与が曖昧なら、

職能団体のキャリアラダーがなかったら、業務マニュアルがなかったら、

数年間の私達の人生の時間を預けますか? とても不安ですよね。

このような基準が自分の将来の生活に重要な事だと、無意識に決定しているはずです。


つまり、大人には社会と接続する際、社会が提示している何かしらの基準に従っています。


子どもからすると、その基準が身についてない時に、大人の後ろ姿がなかったら。

壮絶なつらい時に基準がなくどうやって生きていくのか。

それを問われた時、つらい思いをして生きるなら死ぬ方がいいという行動は選択肢の一つに入るのは

必然じゃないでしょうか?




学術的には、ADHDや自閉症の児童に関しては、未来を語る思考(EFT)に困難を生じる傾向もあり、

未来の報酬よりも目の前の小さな事を優先してしまうという(遅延価値割引)傾向も強いとあります。



子どもが使う「死」というツールは未来の苦悩よりも目先にある楽=「死」という活用かもしれません。



大人が就職を決めるように、転職を決めるように、

先を思い描けない子どもにとって、未来を語る事はよりいっそう心をえぐる選択かもしれません。



私が関わった子どもはまさに、先の見えない不安を「自分の死」というツールを使いながら

今を懸命に生きる】という選択を一生懸命証明しようとしていた

そう思える体験でした。

支援者として子どもになにが出来るかを、今自分に問う

子どもが話している言葉を大人は、何気なく、

何かの言い回しなのかな?

新しい言葉を覚えたのかな?

SNSから覚えたのかな?

近くの子どもの真似をしたのかな?

などと瞬時にまとめたくなります。というよりまとめていると思います。


学術的に言うと、この傾向は精神医学の領域で【認識的不正義】と呼ばれるものがあります。

認識的不正義というのは、
個人(子ども)が話した内容を、個人(私)が今までの経験から、社会的構造からその語り事態が不当
に扱われる事です。

私自身、支援という名の日々の中、語りの本質を見落とし、経験から完結にまとめる

認識的不正義に陥っていたと思います。



今、それを辞めて、子どもの言葉「死にたい」の裏にある本当の語りに耳を傾ける事が本当に大事な事かもしれません。



子ども達の言葉に乗っかる思いを理解しようとする姿勢が、

どんな学術的な理論よりも、業務効率よりも大切だと思います。


建て前や、業務効率や、スタッフへの忖度、業務負担という考えを捨てて考える。

大人にとっては一瞬の会話ですが、

子どもにとっては「あの時、話を聞いてもらった事がとてもよかった。忘れられない」

そんな子ども達の人生のターニングに私達支援者は毎日出会ってるかもしれません。

参考文献

Omiya, T., Sankai, T., Sato, W., Matsunaga, A., Nakano, K., Hara, Y., Iwamoto, M., & Mayers, T. (2026). Gender Differences in the Impact of Autism Spectrum Traits and Camouflaging on Mental Health and Work Functioning: A Structural Equation Modeling Approach. Psychiatry International, 7, 38. https://doi.org/10.3390/psychiatryint7010038

寺田晋. (2023). 認識的不正義概念の可能性を検討する――事例分析を通じた拡張の提案[cite: 2]. 『多文化社会研究』, 9, 49-66[cite: 2].

三木那由他. (2024). 書評 ミランダ・フリッカー著/佐藤邦政監訳、飯塚理恵訳(勁草書房、2023年) 認識的不正義 権力は知ることの倫理にどのようにかかわるのか[cite: 3]. 『ジェンダー研究』, 27, 122-123[cite: 3]. https://doi.org/10.24567/0002004245[cite: 3]

片桐弘明・今村悟也・山岡あゆち. (2026). 非行少年におけるエピソード的未来思考の遅延価値割引への抑制効果. 心理学研究. https://doi.org/10.4992/jjpsy.97.25002














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